そういえば泡にもなったし

やんわりつれづれ

日記/「強い女」とかいう便利な言葉に甘えるな

 ひなフェス'23に行ってきてめちゃくちゃ楽しかったけど研修生曲の「地球は女で回ってる」が嫌すぎるな〜という日記です。ツイートにするとたくさんになっちゃうからはてブに退避しただけなので言いたいこと言っているだけです。このブログをきっかけに自分思うことの話をするのは良いと思うけどこのブログのことを話すのは無駄。やめておいた方がいいです。

 前半は「地球は女で回ってる」について、後半は碧棺合歓さんのソロ曲について(何故?)(話したいから……)。

 言いたいことを一文にまとめると「『女』とか性別に関わらず、まず己自身を見つめ直さなければ『強さ』などはほど遠いモノなのでは?」です。

 

日記1

 研修生ユニット'23曲の「地球は女で回ってる」を聞いてビックリしてしまった。こんな曲を15歳とかそこいらの女の子に今この令和の時代に歌わせるのか? めちゃくちゃ嫌になってしまった。

 

配信はまだみたいなのでひなフェスの映像とかで確認してください。

 

 結局「役割」が無いなら「女」に価値ってないんですか?

 こんな悲しいことってあるかよと思ってしまった。わたしは(家族仲も悪くないので)お母さんのこと大好きだし、世のお母さんや専業主婦だって尊いものだと思う。所謂バリキャリだけが「強い女」とかは思わない。

 だけどさ〜……何? ここで歌われる女に主体性ってあるのか? 「主導権」って言うけど何? 生殺与奪の権

 なんかめっちゃ生殖のことばっか歌っているように感じる。いくらアイドルが疑似恋愛の対象としても売り出されるからってこれは無いよと思ってしまう。

 女性アイドルを多数抱えて25周年を迎えるハロー!プロジェクトが研修生にこんな曲歌わせるんだから世に女性がなんたるかなんて論じられる訳が無いとしみじみしてしまった。

 最近結局女の人権なんてどうでもいいじゃんみたいなニュースばっかり見かけて辟易していたけど、それはそうになってしまう。女って性別だけでかなり生きにくいらしいですよ。わたしは女に生まれて良かった! 楽しいもん! とも歌えるけど……でも生きにくいのも事実らしいです。嫌すぎ。

 

 ハロプロ研修生ユニット'23のみなさんのパフォーマンスはめちゃくちゃ良かったです!

 あと「地球は女で回ってる」もサビの部分の自分が世界を回してんだぜー! って心意気が大事! みたいなところは良いと思います。そういうおっきい気持ちは大事だからね、気持ちで負けてたらしょうがないもんね。

 

日記2

 ここ数年ヒプノシスマイクにハマっているのでちょうど中王区のCDが出るのに関連してこのジャンルの女性描写の下手さとかも見かけるけど、なんかも〜さもありなんだよ。女性の活躍を見届ける立場たる女性アイドルファンがパッケージに騙されて「強い女」に喜ぶような世に何も期待なんてできない。悲しいよ。

 

 ただわたしは碧棺合歓さんのことを応援していて、彼女のソロ曲はそういった性別に囚われない「己自身」の戦いを歌ってくれていそうでフルを聞くのをとっても楽しみにしています。碧棺合歓さんの戦いや彼女への祈りについてもブログ書きたい気持ちもあるので元気だったらそのうち書きたい。

 まあでも関連する話題なのでついでに書いちゃいます。

 

超カッコイイ最高碧棺合歓さんの勝ち!

 

 碧棺合歓さんのソロ曲『Independence day』について、「飯炊いて待ってるだけのいい子」は「女」としての役割ではなく、彼女自身が「自分に最低限求められていると思い込んでいた役割」だと思います。お兄ちゃんが妹の幸福のために励み、ずっと大切にされてきたのなら、その状態で立ち止まってしまうことができるかも知れない。わざわざ自ら望まれていない危険を犯す必要はなく、兄が用意した平穏な日常を享受していれば良いという狭い世界の象徴なのかな? と思う。

 だけど碧棺合歓さんは山田一郎くんに出会い年齢が言い訳にならないと知って、中王区の介入(洗脳)によって兄の庇護下から無理やり引っ張りだされてしまう。

 自分の意思に関わらず中王区に来てしまった合歓が、それでも自分の意思で兄の庇護下から脱しようと決意したのは、合歓が合歓として自分の幸せやお兄ちゃんの幸せを考えて実現しようとする決意をしたからだと思います。

 お兄ちゃんが「合歓が無事なら幸せ」と思っていて、それ自体は合歓自身も嬉しいと思っても、そのことでお兄ちゃんが傷つくならば、看過できない。兄の優しさに甘えてばかりではいられない、己の足で立ち己の言葉で戦い己の意思で生きるのだ! と決意するのはうつくしいことだと思う。

 兄の庇護下から脱すること、独立することは決して兄の愛の否定では無いと思う。

 

 たましいたちは決して「強い女」などというパッケージに騙されずに己にとっての「強さ」は何なのかを考えて欲しい。